医療法人社団 嬉泉会 《 公式サイト 》/ごあいさつ・人物紹介─創業者

ごあいさつ・人物紹介

ごあいさつ
・人物紹介

嬉泉会 創業者
(故)須藤すどう 祐司ゆうし

少年期・青年期

医療法人社団 嬉泉会 創業者 須藤祐司は、葛飾区で事業を興した須藤晃弘の長男として生まれ、「教育は親の務めだが、あとは自分で生きろ」と、“子孫に美田を残さず”という教育方針の下で育ちました。

少年時代は近所の空き地で毎日友達と野球をしていました。小学生の学芸会では「僕は主役じゃなきゃイヤだ」と主役になり、剣の立ち回りを演じました。

父・須藤晃弘に銀行の金塊を見せられ「お前はどのように使う?」と問われ、「自分はその金塊はいりません。自分の稼いだお金で人のために使います。」と即答したそうです。父・須藤晃弘は、事業で得たお金を社会福祉法人嬉泉に注ぎ込みました。遺産も寄付しました。(現在は、社会福祉法人嬉泉と医療法人社団嬉泉会につながりはありません)

日本大学医学部5年生の時に、恩師である故・杉野信博先生と出会い、透析医療を志しました。

3つの病院をオープン

日本腎臓内科の基礎を創った故・大島研三先生と東京女子医大腎臓内科教授になった杉野先生と一緒に、昭和48年2月にコルフ型の透析装置を36台備えた嬉泉病院をオープンしました。

その時の患者さんとニーレの会を作りました。

春日部市立医療センターに勤務した縁で埼玉県春日部市に春日部嬉泉病院をオープンしました。
大島先生を院長に迎え千葉県船橋市に大島記念嬉泉病院をオープンしました。
東京女子医大透析室の開設も杉野先生と一緒に行った縁で、杉野先生は嬉泉会の最高顧問になりました。

嬉泉会を設立

昭和50年1月8日に医療法人社団嬉泉会を設立しました。

充実した人生でした

20年余り日本医療法人協会副会長を努め、医療法人の持分放棄の解決に道筋をつけて、そのことで平成26年春の叙勲で旭日小綬章を受章しました。

若い時は往診にも行き、年を経てからは、より広い医療問題に取り組みました。

葛飾区内の全ての病院長、医師会長、保健所長、国会議員、都議、区議、区長が参加した葛飾区病院管理協議会を立ち上げて、会長として数十年にわたり活動しました。

一方では、各病院での職員の集まりに顔を出すのが大好きで、春日部嬉泉病院の きせん祭もお気に入りでした。

陸亀の亀太郎と遊ぶのをとても楽しみにしていました。亀太郎はとても懐いており、喜んでいるようでした。一眼レフカメラで亀太郎や葛飾柴又の風景などを好んで撮影しました。

平成24年には大病を患いましたが、多くの人に支えられて余生を過ごし、令和1年10月、人生の幕を下ろしました。

「嬉泉」の名前は、「世のため人のために尽くしてこそ、人としての喜びが泉のごとく湧き出てくる」という父親の教えから付けられました。

医療法人社団 嬉泉会

〒125-0041 東京都葛飾区東金町1-35-8

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