医療法人社団 嬉泉会 《 公式サイト 》/ごあいさつ・人物紹介─嬉泉病院 院長

ごあいさつ・人物紹介

ごあいさつ
・人物紹介

嬉泉病院 院長
上畑うえはた 昭美あきみ

少年時代は暇さえあれば本を開いていました

私が生まれ育ったのは、兵庫県川西市という大阪との県境の街で、都市へのアクセスに便利でありながら、豊かな自然にも恵まれた土地です。父親は工場勤務で、贅沢ができるほど生活に余裕はなかったものの、自宅にはたくさんの本があり、暇さえあれば本を開く子どもでした。

そんな読書習慣から得た知識が功を奏し、小学校高学年になると自然と学力が上がり、中学受験で隣町の「大阪教育大学附属池田中学校」に進学。入学した1970年は大阪万博が開催された年で、会場で国内外の文化・芸術に触れたり、生まれて初めて外国人を見たりと、自分の狭い世界から少し抜け出せた経験をしました。

医師になる夢を抱いて防衛医科大学へ

中学・高校時代に所属していたテニス部では、勉強も運動もできる優秀な仲間に囲まれ、とても良い刺激を受けました。そのおかげで、「世の中の役に立つ医師になろう」という将来の夢もでき、埼玉県所沢市にある防衛医科大学へ。

防衛医科大学を選んだ理由は、学費が無料という経済的な理由が一番でした。全寮制で制服や食事の支給もあり、特別職国家公務員という身分が与えられて毎月給与まで出るのですから、この上ない待遇でしょう。

寮の部屋は4人1組に割り振られるのですが、当時から縁あって、春日部嬉泉病院の丸山院長とも、大島記念嬉泉病院の勝然院長とも同室になった時期があります。しかも、3人とも循環器内科を専攻したため、同じ教室で医師としてのトレーニングを受けましたし、卒後も自衛隊の関連病院で一緒に働きましたから、本当に付き合いの長い同朋なのです。

各地へ転勤、ボストンで学び、アフリカで国連平和維持活動

自衛隊医官に転勤は付き物で、約30年働く中で、東京をはじめ、宮城や北海道への転勤も経験。1991年からは2年間ボストンに留学し、世界最高峰の大学と言われる「ハーバード大学」でも学ぶ機会をいただきました。ボストンでの暮らしは、「今までの人生で一番で楽しい!」と言っても過言ではないほどでした。

ですが、帰国後の私を待ち受けていたアフリカでの「国連平和維持活動(PKO)」は、更に上を行く忘れられない思い出です。ルワンダ難民救助隊として、200名近い自衛隊員と3カ月間テント生活を送りながら、野外手術車や医療用テントで診療にあたったのですが、「人生観がガラリと変わる」という経験でした。それまでの私は、自衛隊員に特別な感情を抱いてこなかったのですが、過酷な状況で任務を遂行する彼らを見た時、自然と感謝の気持ちが生まれ、自衛隊という組織が尊敬の対象になったと同時に、隊員達のためにもっと頑張ろうと思えたのです。

そうした約30年にわたる自衛隊医官時代の最終ポジションは、自衛隊中央病院・循環器内科部長でした。そろそろ後輩に立場を譲ろうかと考えていた時、春日部嬉泉病院の丸山院長より、嬉泉会への入職オファーをいただきました。

そして現在

当「嬉泉病院」には2012年に副院長として赴任し、2013年からは現職を任され、優秀な医療スタッフ達に囲まれながら、長年のキャリアを活かして臨床に携わっています。今後も、腎・透析医療を柱に、地域の皆様の健康づくりに貢献していく姿勢は変わりませんが、開院時から同じ建物で、ハード面の老朽化が進んでいるため、数年以内に近隣の土地への新築移転リニューアルを計画中です。より魅力的な医療機能を備え、新しくキレイな建物に生まれ変わる予定ですので、どうぞご期待ください。

最後になりましたが、日頃から職員に伝えている、3つの言葉を紹介させてください。
1つ目は、笑顔を忘れずに丁寧な言葉で相手と接する「和顔愛語」。
2つ目は、金町に暮らす人々を大切にする「地域密着」。
3つ目は、専門職として学びを怠らない「自己改革」です。

これからも、職員の笑顔が溢れる病院を目指し、地域医療の要となる専門職の育成に努めてまいりますので、何とぞよろしくお願い申し上げます。

医療法人社団 嬉泉会

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